本願寺顕如2
防炎加工
生地変更
―武将のぼりとは―
複数の武士団が入り乱れる戦場で敵見方を区別するために掲げられたのぼり旗です。
家中によってその仕様は様々であり、武将によっては複数のデザインののぼり旗を掲げていたとも言われています。
京都のれんでは、実際に存在したと言われているデザインから、各武将の解説のより、存在したのではないか?と思われるデザインまで。様々な「武将のぼり旗」をご用意しております。
【本願寺顕如】
戦国時代から安土桃山時代の浄土真宗の僧。顕如は号であり、諱は光佐。院号は信樂院。本願寺第十一世。
妻は三条公頼の三女の如春尼。子に教如・顕尊・准如がいる。
織田信長の宿敵であり、武力によって天下統一を狙う信長を仏敵とし、全国の本願寺門徒に信長打倒を呼びかけ、決戦を挑んだ。
<基本仕様>
サイズ :180cm×60cm
素材 :ポリエテルポンジー
染色技法:昇華転写
縫製 :四方三巻
チチ位置:左チチ(左5つ上3つ)
1枚ずつPP入れ
信長に戦いを挑んだ勇壮な本願寺顕如ののぼり旗
本願寺顕如は、戦国時代から安土桃山時代の浄土真宗の僧侶です。
顕如は、織田信長の宿敵としての存在感が残る人物として知られています。
武力で天下統一を狙った信長を敵とみなし、全国にいる本願寺門徒に信長の打倒を呼びかけた上で決戦にいどんだ勇壮な僧侶であり、大阪城やその周辺の整備に尽力していることも歴史にその名を刻んでいます。
武将のぼりとして、本願寺顕如も扱われているのですが、武士団が入り乱れる戦場で敵や見方を真っ先に区別できるように作られたものです。
そのため、戦場ではさまざまな仕様があったのですが、武将の好みや家々の格に応じたのぼり旗を掲げていました。
本願寺顕如は、信長に立ち向かう勇気ある僧侶だったため、赤白の斬新な仕様になっているわけです。
強い決戦の意気込みが伝わるのは、赤い背景に白い丸をかたどったものなので、戦の場においても特に目を惹くのぼり旗になっているのは確かです。
現在でも、歴史をたどって勇壮なのぼり旗の要望も多くなっているため、地域で戦場を再現する際や何らかのイベントの際にも用いられる人気ののぼり旗です。
現代ののぼり旗としても、インパクトのある仕様になっていることもあり注目を浴びやすい勇壮な本願寺顕如の旗は好まれやすくなっています。
武将のぼりも様々なものがありますが、勇壮で分かりやすさなら、本願寺顕如の旗をおすすめします。