本田忠勝
防炎加工
生地変更
―武将のぼりとは―
複数の武士団が入り乱れる戦場で敵見方を区別するために掲げられたのぼり旗です。
家中によってその仕様は様々であり、武将によっては複数のデザインののぼり旗を掲げていたとも言われています。
京都のれんでは、実際に存在したと言われているデザインから、各武将の解説のより、存在したのではないか?と思われるデザインまで。様々な「武将のぼり旗」をご用意しております。
【本田忠勝】
戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。
徳川氏の家臣。
上総大多喜藩初代藩主、伊勢桑名藩初代藩主。忠勝系本多家宗家初代。本姓は藤原氏。
家康を数々の窮地から救ったと言われている。
<基本仕様>
サイズ :180cm×60cm
素材 :ポリエテルポンジー
染色技法:昇華転写
縫製 :四方三巻
チチ位置:左チチ(左5つ上3つ)
1枚ずつPP入れ
最も功績を称えられた徳川四天王
徳川家康に忠誠を誓い、目覚ましい働きを遂げた家臣4人を徳川四天王と呼んでいますが、そのうちの1人が戦国時代から江戸時代にかけて活躍した本田忠勝です。
通称の平八郎でも知られている忠勝は常に家康の居城の城下に暮らし、旗本部隊の将として家康がとりわけ信頼していた武将です。
本田忠勝の家紋は丸に立葵と呼ばれる形で、丸の中に葵の紋が入った形をしています。
槍の遣い手として優れた能力を持っていた忠勝は、家紋を記した旗を押し立てて、騎乗から槍を繰り出したことでしょう。
わずか14歳で初首をあげたというだけあって、並外れた度胸の持ち主だったことも明白です。
本田忠勝の場合、のぼり旗に家紋をあしらうと、見た目が非常にエレガントに見えるとあって人気があります。
家紋だけではないところが特徴
戦国武将ののぼり旗というのは、誰が好きだとしても家をまず一番に大事にしたことから家紋が多く用いられます。
特に徳川四天王として名家臣で知られる本田忠勝の場合は、丸に立葵という本田家の家紋を白い旗に黒く印刷するか、あるいは黒い生地に白く家紋を描くかがよくあるパターンです。
さらに、家紋を3つ並べて印刷する方法もあり、お好みでデザインできるのがのぼり旗の良いところでもあります。
本田忠勝に関して作られるのぼり旗で一番特徴的なのが、家紋ではなく本田家の本の字だけを用いるのぼり旗もあるというところです。
その際、白地胴黒と呼ばれる白、グレー、白の順に色を配置して最上段の白い部分に本の字だけを入れることで、本田忠勝ののぼり旗だとわかります。