明智光秀
防炎加工
生地変更
―武将のぼりとは―
複数の武士団が入り乱れる戦場で敵見方を区別するために掲げられたのぼり旗です。
家中によってその仕様は様々であり、武将によっては複数のデザインののぼり旗を掲げていたとも言われています。
京都のれんでは、実際に存在したと言われているデザインから、各武将の解説のより、存在したのではないか?と思われるデザインまで。様々な「武将のぼり旗」をご用意しております。
【明智光秀】
戦国大名・織田信長に見出されて重臣に取り立てられるが、本能寺の変を起こして信長を自害させた。
直後に中国大返しにより戻った羽柴秀吉に山崎の戦いで敗れた。
<基本仕様>
サイズ :180cm×60cm
素材 :ポリエテルポンジー
染色技法:昇華転写
縫製 :四方三巻
チチ位置:左チチ(左5つ上3つ)
1枚ずつPP入れ
明智光秀ののぼり旗について
1582年の本能寺の変では、明智光秀の家紋である桔梗紋ののぼり旗が、織田信長が一時滞在していた本能寺を取り囲みました。織田家の家臣達は本能寺の塀の上から覗く桔梗紋のぼり旗を見て、謀反が起こったことを知り、その武将が信長の筆頭家臣であった光秀であることがわかり、半分戦意を喪失した者もいたそうです。それほどまでに抜かりの無い名将光秀に対し、信長に「是非にあらず」と言わせるほどに賢く手強い謀反人でした。桔梗紋は、もともと明智家の家紋では無く、美濃国を治めていた土岐氏の家紋です。「朝家(天皇家)の守護」であった源頼光の子孫である土岐光衡が、合戦の時に桔梗を兜に挟んで戦ったのが、家紋となった由来であるといわれています。後に斎藤道三が土岐氏を破り、道三に使えた明智光秀が土岐氏の家紋を使用するようになりました。
2020年は絶対に注目される桔梗紋ののぼり旗
明智光秀が羽柴秀吉に山崎の合戦で敗れ、本拠地である坂本城が落城してからは、桔梗紋は「裏切り者の家紋」とされたため、のぼり旗に使わなくなる一族もいました。江戸時代には、系統を異にする明智の末裔が家康に仕えており、現在も明智という駅が岐阜に存在します。2020年東京オリンピックの年の大河ドラマは「麒麟がくる」で、戦国武将の明智光秀が主人公です。したがって、来年は明智光秀にスポットが当たることは間違いありません。そこで、桔梗紋も「裏切り者の家紋」というこれまでの負のイメージを払拭するチャンスです。本能寺の変の新たな真実が明かされれば、それによっては桔梗紋の印象も変わるかもしれません。どちらにしてもテレビにたくさん映り、一番注目されるのぼり旗になることは間違いないので、いろいろと使い方のバリエーションが増えることでしょう。